支援の中の“自立”という言葉
ハッピースクエア火曜日ブログ担当兼管理者の牧野です。
今週のよろしくお願いいたします。それにしても気温が急上昇してきてますので、
皆様体調にはくれぐれもお気を付けください。
今月のテーマは「自立」
これまでの2週では、「そもそも自立って何?」という根本的な問いからスタートし、
先週は「“できる”ことと“自立”はイコールじゃないかもしれない」という話をしてきました。
今週は第3週。テーマは「支援の中の“自立”という言葉」についてです。
“自立支援”って何支援?
「自立支援」という言葉、福祉や介護の現場では本当によく使われます。
でも、改めて考えてみると…これってとても曖昧な言葉でもあるなと思うんです。
本人がどんな状態であっても、支援者が「この人はもっと○○できるようになった方がいい」と思えば、
そこに“自立支援”という名目で何かを促してしまうこともあります。
そのとき、「誰にとっての自立?」という視点を持っていないと、
知らないうちに“支援”という名の“押しつけ”になってしまうこともあるんですよね。
本人の「望む暮らし」と、“自立支援”は同じ方向か?
たとえば、
・家でのんびり過ごすことを望む人に対して「作業所に通う方が自立です」
・親と暮らす選択をしている人に「グループホームに移った方が自立です」
…本当にそうでしょうか?
支援の現場では、「本人が望む暮らし」と「支援者が思う自立像」がズレることが時々あります。
そのズレに気づけずに支援が進んでいくと、支援そのものが目的になってしまいがちです。
“自立支援”の前に、“意思確認”支援
だからこそ、僕らが意識したいのは「まずは本人の意思を確認すること」。
選択肢を丁寧に説明する、時間をかけて一緒に考える、うまく言語化できない場合には周囲の理解や記録を手がかりにする。
言葉にできる人だけが意思を持っているわけじゃありません。
一緒に過ごして見えてくる表情や反応の中にも、“その人らしさ”がちゃんとある。
“自立支援”って、実は“意思決定支援”とほぼセットじゃないかと思うんです。
だからこそ、支援のときには
「自分の常識は相手にとっては非常識かもしれない」と、
まずは確認から始めようって伝えています。
目の前の人の“自立”が、“その人にとって心地よい状態”と重なるように。
支援のスタートは、いつも相手の側に立つところから。
今週も読んで頂きありがとうございました。ではまた来週!!
来週はいよいよ今月のラスト週。
テーマは「自立と“依存”のグラデーション」。
支援の中でよく出てくる「依存してる」「まだ自立できてない」という言葉について、
少し違う視点から考えてみたいと思います!
編集後記(ただの雑談)
先週はミッキー、今週はドロンパ。
娘の中では今、完全に“ドロンパ期”突入中です。
ちなみにこちらがその決定的瞬間。
\どーーーん!!/

いや近い近い(笑)
喜びがすぎて、顔うずめてるやないかい!
ピッチの熱戦よりも、ドロンパとの接近戦の方が盛り上がってた気がします。
ミッキーよ、ミニーよ、ごめんね……しばらく娘の推しは味スタにいます。