僕と私の狭間で生きる
どうも!木曜日担当の遠山です。
今日のテーマはぶっちゃけ話なので、もしかしたら期間限定になるかもしれませんがご了承ください。
気持ちのままに書いているので文章構成めちゃくちゃですがすみません。
性別違和という言葉を聞いたことがありますか?
自分が生まれたときに割り当てられた性別と、自分自身の性同一性(心の性別)が一致していないことによって生じる、不快感や苦痛のことです。
これは単なる「思い込み」や「気分の問題」ではなく、医学的・心理的な状態として認識されています。
かくいう私も、この違和を感じている一人です。
幼少期のころから、周りの女の子たちとは何か違う。でもそれを説明するのは仲間外れにされそうで嫌だ。
そんな感情を持ちながら周囲に迎合して学生生活を送っていました。
自分がこういう人間だということをカミングアウトするとよく言われることは、
「男女どっちの気持ちもわかるからいいよね!」
…いや、わからないよ?というのが正直なところです。(笑)
男性のことも女性のことも分かりません。
強いて言えば、女性として暮らしている時間が長い分、女性特有の体の問題はわかるかな?くらいです。
都会に出てきてから感じることは、私みたいな葛藤を抱えている人が多く存在するということ。
多種多様な人が集まる東京という都市だからこそ、私たちのような人は生きやすいのかもしれません。
こんな自分でよかったかといわれれば、まだ自信をもって今の自分でよかったとは言えないのが正直なところです。
性別に違和感を感じない人生は、どんな感じなんだろうなって思うこともあります。
当たり前に自分自身の性を享受して何をしなくても社会的にその性として認められるということが、羨ましいと思う時もあります。
そんなことを言ったところでなにも始まらないですからね(笑)
今の自分で生きやすくするために出来ることは精一杯してきたつもりです。
戸籍の名前を変えて、周囲の人にカミングアウトして。
その過程の中で考えてしまいます。
「いやいや、君はどこまでいっても生まれてきた性のままだよ。」
そんな声が世の中にはあることも知っています。
でも、言われなくてもそんなことは自分自身が一番よくわかっていることです。
だから必死になりたい自分になろうともがき苦しんで、あの手この手で理想の自分になろうとしています。
いつからか、誰が見ても認めてもらわなくちゃいけないんじゃないかって怯えるようになりました。
だから、変なことでケチつけられないように、職場の人に認めてもらえるように仕事を頑張りました。
それが20歳ごろから始まり、今に至ります。
今でもそうです。
誰かに認めてもらえるように。こんな中途半端な自分だけど、ここにいてもいいと思ってもらえるように。
そこには、自分が仕事を通してこうなりたいとかすっぽ抜けてます。
目標面談では言えるんですけどね(笑)
でも、もうそろそろこのフェーズは終わりにしようと思います。
ずっと誰かに承認されるために働き続けるのはしんどいですし、自分を消耗させてしまいます。
今すぐに働き方を変えることは難しいけれど、挑戦してみようと思います。
自分の人生をどうしていくために働くのか。
そんなことを考えながら、自分を見つめなおしていきたいです。